わが故郷の福岡市の街を歩くとき、その洗練された美しさとコンパクトな心地よさに改めて驚かされます。
日常の風景に忍び寄る「異変」
半径1キロ圏内にすべてが揃い、新鮮で美味しく、しかも安価な食が溢れるこの街は、まさに日本が誇るべき豊かさの縮図だと思います。
しかしそんな洗練された福岡市の街は、最近、かつての風景とは微妙に異なる空気に包まれています。
耳に届くのは、韓国語や中国語、あるいは英語といった異国の言葉の洪水です。
ふとした瞬間に博多弁が聞こえると、思わず深い安堵を覚える自分に戸惑いを感じるほどです。
これは単なる魅力ある街へのインバウンドの拡大と言う話でに留まらず、私たちの生活圏が内側から変質している事態を示唆しています。
自国にいながら漂うこの得体の知れない疎外感は、平穏な日常の崩壊を告げる前触れのようにも感じられます。
司法の不条理と揺らぐ治安インフラ
最近、福岡のうきは市で、丹精込めて育てられた梨が収穫直前に5000個も盗まれるという事件が起きました。
泣き崩れる生産者の姿を前にしても、今の日本の検察や司法はあまりに頼りないものです。
犯人が捕まっても理由が不明なまま不起訴になったり、不可解な無罪判決が下されたりする光景が、日常になりつつあります。
「捕まってもどうせ裁かれない」という不条理の蔓延は、国民の司直に対する信頼を根底から腐らせています。
治安とは目に見えない重要な社会インフラであり、それが毀損されることは国家の屋台骨が揺らぐことに他なりません。
高市政権の歴史的決断:在留外国人の「総量規制」へ
こうしたなし崩し的な崩壊を食い止めるための防波堤として、高市政権は新たな方針を打ち出す可能性が出てきました。
それが、外国人の受け入れ人数に「数値目標」を設けるという、歴史的な大転換です。
外国人との秩序ある共生社会推進担当大臣である小野田紀美議員も、この「総量規制」を検討に含めることを明言しています。
来年3月までに基本方針を策定するという急ピッチなスケジュールは、この問題がいかに喫緊の課題であるかを物語っています。
我が国における在留外国人は、わずか4年で1.5倍という異常なペースで増え続け、すでに412万人に達し多と言われています。
もはや看過できる次元を超えつつあると言えるでしょう。
これまで在留外国人の人数の上限を示す「天井」が存在しなかったことが異常で、これからは無秩序な移民政策とは決別しなければならないのです。
経済界の「リスクの非対称性」にメスを入れる
ただし、在留外国人の上限を決めることは、安価な労働力を「打ち出の小槌」のように求める経済界との激しい対立につながります。
経済界は深刻な人手不足を盾に取り、特定技能枠の拡大といった人手不足の解消を強硬に主張し続けています。
ですが、安易に安価な外国人労働力に依存する姿勢こそが、日本人の正当な賃金上昇を阻害しているという事実を忘れてはなりません。
一部の経営者は雇用に対する補助金などのメリットを享受しながら、その一方で極めて歪な「無責任姿勢」を続けています。
受け入れた外国人労働者が罪を犯した際の捜査や裁判のコスト、さらには刑務所の運営費などを負担するのは経営者ではなく、すべて一般国民の税金なのです。
利益は企業が私物化し、犯罪対応や将来の生活保護といった社会保障コストだけを公に押し付ける「リスクの非対称性」が放置されています。
「受益者負担の原則」が完全に欠落したこのイビツな構造は、もはや公正な経済活動とは呼べないのではないでしょうか。
私たちは、このあまりに不合理なコスト負担の在り方について、今こそ鋭いメスを入れなければなりません。
まとめ
日本の形と平穏な日常を守り抜くために
今後の日本が目指すべきは、外国人が罪を犯した場合に雇用主の責任をも厳格に問うような、新しい共生のルール作りです。
特定技能2号や留学生、あるいは「技人国(技術・人文知識・国際業務)」と呼ばれる専門職ビザなど、無制限の流入を許す抜け穴を完全に塞ぐ必要があります。
これらの枠は現状で人数制限がなく、家族帯同も可能であるため、事実上の「移民の裏口」として機能しかねない危うさを孕んでいます。
一つひとつの受け入れ窓口に厳格な天井を設けることは、決して排外主義などではなく、自国の文化と秩序を守り抜くための正当な生存戦略と言えるでしょう。
高市政権が乗り出そうとしている在留外国人の総量規制の背景には重大な問いが潜んでいます。
経営者による目先の人手不足解消の要求に応えるのか、それとも私たち日本国民の子々孫々に誇れる平穏かつ物心ともに豊かな生活を守り抜くのか。
この国の形を左右する重大な問いにまもなく高市政権が答えを出そうとしています。
